那覇市の概要
「那覇市」 は、沖縄県本島南西部に位置しています。夏は涼しく、冬は暖かい亜熱帯海洋性気候として沖縄県の県都として、人口30万人余を有する政治・経済・文化の中心地です。首里台地(標高165M)から東シナ海に面して、ゆるやかに傾斜した平野部には、 古くから港が整備されるなど、 海外との交流拠点として、「琉球王国」 文化が華ひらいた街でもあります。
那覇のあゆみ
那覇の歴史ははるか昔にさかのぼる事ができます。日本の縄文文化が沖縄本島までは及んでいた事と、先島(宮古・八重山)には南方文化(フィリピン・インドネシア)の影響が強いといわれています。12世紀初頭、各地の「按司(あじ)」と呼ばれる地方首長による対立・抗争を経てから、北山・中山・南山にそれぞれ「王朝」が成立します。「古琉球」と呼ばれる農耕を基礎にした政治社会の成立です。「三山時代」から、尚巴志による統一を経て、琉球王国が建設されます。
1400年代、尚巴志が建国した第一尚王朝は、家臣・金丸による王位簒奪によって潰え、金丸は尚円を名乗り第二尚王朝を開きます。1477年から1522年まで王位にあった尚真王は琉球王国の黄金時代を築いたといわれています。そして室町・戦国時代を経て、日本において天下統一を果たしたとされる徳川幕藩体制の下、島津藩による侵略によって琉球王国は島津の属領となりました。明治12年(1879)には、沖縄県を設置します、昭和に入り、太平洋戦争末期の沖縄戦では、街は焦土と化してしまいましたが、昭和47年(1972)の日本復帰を経て、多くの県民市民の努力と協力によって、 現在の那覇市へと発展しています。モノレールを核とした街づくりから中心市街地の再開発及び新都心の建設事業、教育福祉事業等、創造・共生・交流と、これまで以上に市民本位の街づくりを展開しています。
那覇の名前の由来
那覇は、「ナハ」と読み「ナーファ」、「ナファ」が変化したものと言われていますが、ナバ(漁場)から発生したという説が現在では最も有力といわれています。1934年(昭和9年)3月、日本放送語審査委員会でナハ(NAHA)と決定。従来一般に、ナハ、ナファ、ナワ、ナバなどと呼称されていたものが統一されました。
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